人が発する言葉、言葉が語る意識
(1) 破壊された街を復旧させていると、ダメージを受ける以前の(元の)自分自身を回復しているかのように感じる。
(2) ただ元に戻す復旧ではなく、創造的な復興案を示してほしい。
さて、それぞれ、どのような立場の人が発した言葉でしょうか。
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(1)は、ハリケーン・カトリーナにより打撃を受けたニューオリンズのある被災者の言葉。
(2)は、ある被災地の復興策をめぐる某国首相の言葉。
(2)は、ノーベル経済学賞(俗称)を受賞したある経済学者の次のような言葉と重なります。
ニューオリンズ市内の学校の壊滅的な状況を念頭に置いて曰く、
(3)これは悲劇である。そしてまた、教育システムを根本的に変えるための、またとないチャンスでもある。
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(1)と(3)は、カナダのジャーナリストであるナオミ・クラインによる“The Shock Doctrine”の序章“Blank is beautiful”(まっさらな紙は美しい)で紹介されている言葉です。
(1)は、失われた暮らし-住み慣れた街、関わりのあった人、思い出、その他諸々の人としての営み、その積み重ねなど-が、人にとってどれほど大切なものであったのかを物語ります。
(2)は、さて何なんでしょうか? 困りました。ネット上で“拾った”言葉らしく、なんとも軽く、また薄い。そしてその実、恐ろしく残酷な言葉です。
「ただ元に戻す復旧ではなく」「創造的な復興案」、、、人にとっての故郷や失われたものの意味、失った人の気持ち、そんなもんは知らん、さーて新しい街でも作るぞ!-こんなところでしょうか。
(3)は凄いですね。実はこういう輩、某国の政治家・大学教授などにも時々います。(2)のような言葉を発する人間のブレーン(と言って本当に良いのか?)である場合もあります。
このように見ると、言葉はとても正直に自己を語ります。自分の言葉にも自分自身が表れているかと思うと、しばし考え込んでしまう今日この頃です。
2011年07月29日 コメント&トラックバック(0) | トラックバックURL |
カテゴリ: 近況
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