雑文の記事一覧

ode an die freude/ ode to joy/ 歓喜の歌

今年も第九の季節がやってまいりました。

さて、Flash mob(フラッシュモブ)というのは、公共の場に目的を同じくする人たちが集まって行うパフォーマンスだそうです。

こちらは、スペインのとある街でのパフォーマンス。

お年寄りであろうが、小さな子供であろうが、聴く者の表情を活き活きとさせる楽曲・演奏の力に、感服させられます。

そして、このような素晴らしい音楽がごく身近にあるという環境に、本当の豊かさを見た思いがする今日この頃です。

ある一日の終わり

どんなに大変な一日であっても、ふとした出来事に心救われ、気持ちよく一日を終えられることがあります。

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ある日の夕方、一本の電話。

保護者アンケートの締切を前に、回収状況が今一つの保育園の園長先生から。 

お声がけしたほうが良いと思うんですが、どうしたらいいでしょうか。あ、こんなこと、○○さん(私)に聞くのも変ですね。」

考えられる対応方法を少々真面目に説明した後、はたと気づき、笑いをこらえて改めて返答。 

「先生も保護者や職員さんからよく相談を受けてらっしゃると思うので、よくご存知かと思いますが、相談というのは、おおむね結論が決まっていて、あとは背中を押して欲しいだけ、ということがよくあります。」 

やはり笑ってしまう私、少々恥ずかしがりながらも笑って下さる先生。 

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一日の終わりに愉快な会話の機会を下さった先生、ありがとうございました!

交際上のマナー

相手が自分にとって不利な・嫌な行動をとる時、「相手の嫌な部分を引き出している自分がいるのではないか」と考える、今日この頃です。つまり、人間交際を豊かにしていく上で、相手の嫌な部分を引き出さない立ち居振る舞いをする責任が、あるのではないのか、と。

○使われていない=自分が使える=占有できる=ある日所有に化ける(かも)

過去に、いくつかの国の方々と生活を共にしたことがあります。以下は、ある国の人と暮らした時のエピソード。

部屋は各自一部屋。キッチンは共有。使い方については、4人の居住者全員で相談の上、以下のように決定。

①お皿や鍋など、各自の所有物は、それぞれスペースを割り当てて収納。

②コンロやその周辺は共有スペース。

③コンロや流し台、テーブルなどは、使用後は各自で掃除。

④キッチンのフロアの掃除は、輪番制。

⑤ゴミを集積場へ持っていくことも、同じく輪番制。 

そして、和やかに新生活がスタート。のはずが、数日後、キッチンに行ってビックリ。

「共有スペース」のはずのコンロ周辺に、うず高く積まれたお皿や調味料の数々。

調味料は、いかにも○○料理的なものばかり。 

○○人学生に聞いてみると、「何か問題でも?」といった様子。

そう、彼らにとって、共有スペースとは、空いている=使える=事実上自分たちのものにできるスペースだったのです。

○相手のさらなる行動を招かない責任

そこで、改めて説明:「いやいや、ここは皆で使う場所だから、必要な時だけ使って、そうでない時は空けとくんだよ

○○人:「オ~、ソ~リ~」(たぶん分かっていない)

かくして共有スペースは、「占領」から速やかに「解放」されたのでした。その後、この問題は再発しませんでした。

トラブルはなるべく起こさない、起こってしまった時は、なるべく悪化させない(事態をエスカレートさせない)、そのために必要な行動をとる、それもすぐに―実はこれ、人であれ国であれ、関係の継続を前提とするならば、当然のマナーであると思うのです。

「恐怖を恐怖する」

少々興味深いデータに触れたので、紹介を兼ねて。出典は、こちら。 

○「危険な」飛行機の利用を控えたら、自動車事故が増えた

人には、「恋を恋する」傾向があるようですが、どうやら「恐怖を恐怖する」のも、避けがたい傾向のようです。

2001年に世界貿易センタービルで起きたテロ事件の発生から1年間ほど、アメリカでは、飛行機の利用が極端に減少しました。ハイジャックに遭うこと、テロに巻き込まれることを、人々が恐れた結果です。

飛行機の利用をやめるならば、他の交通手段を利用するしかありません。当然、車の利用量も増えることになります。 

さて、その結果何が起こったかというと、当たり前のようですが、自動車事故による死者数の増加でした。

その数、前年比で1,595人増。

これがどのような数字であるかというと。 

・貿易センタービル、ペンタゴン、それぞれへの攻撃を含む一連のテロの犠牲者数は、約3000人と言われています。ですので、1,595人というのは、その約半分。結構な規模です。

・犠牲者のうち、飛行機の乗客だけに限れば246人。なので、1,595人はその6倍。こう見ると、交通事故の死亡者数増の顕著さが際立ちます。

・同時多発テロの1週間後に起こった炭疽菌によるテロの犠牲者数は5名。ということは、1,595人はその319倍。テロの被害者よりはるかに多い…。

○飛行機と自動車の危険性―比べてみると…

この調査をしたドイツの心理学者さん、律儀に以下のような計算をしています。 

・1年間、毎月1回(つまり1年で12回)のフライトでハイジャックに遭って亡くなる確率=1 / 135,000

・1年間で、自動車事故で亡くなる確率=1 / 6,000

この確率をもとに考えると、自動車での移動よりも飛行機での移動のほうが安全だということになります。なので、飛行機を避けて自動車を選んだ行動は、かなり非合理的なものだったということになります。

○理屈に合わない恐怖に振り回される私たち

この行動を生んだきっかけは、著者曰く、「イメージ」。繰り返し放送される、事故の瞬間の映像、遺族のインタビュー、次に来るテロの恐怖を煽る報道などなど。これらによって、人々は、unreasoning fear 理屈に合わない恐怖(心)を抱いてしまった―そう、著者は言います。 

自動車事故の死亡者数の増加については、ほとんど誰も注目していないそうです。また、当事者である遺族も、この増加の事実、いわんやその背後関係についても、理解していないそうです(仕方のないことですが)。つまり、遺族は、愛する家族の命を奪ったのは、日常生活で起こりうる交通事故―残念ではあるが、現代社会に生きる上で受け入れなければならない、言わばコスト―であると考えているわけです。

しかし、著者によれば、実際は、彼らはそんな理由で亡くなったのではない。愛すべき家族の命を奪ったのは、比較的安全な飛行機を避けて自動車の利用に殺到した、人々の恐怖(心)である―ということになります。 

unreasoning fear 理屈に合わない・根拠定かならぬ恐怖が、新たな悲劇を生んでしまう…なんとも皮肉な現象です。

悪の存立条件

○悪徳の栄え

卑怯、卑劣、卑俗、臆病、偽善、酷薄、放縦、抑圧、画一、差別、残忍…と、「悪徳」に該当すると思われる言葉を思いつくままに書き起こしてみました。

さて、こういった悪徳が世に蔓延してしまう条件とは、一体どんなものでしょうか。18世紀の英国で活躍した政治家、エドマンド・バークは言います。

All that is required for evil to triumph is that good men do nothing.

カチコチの訳:悪が勝利をおさめるために必要なことの全ては、善人が何もしないことである。

思い切って言い直すと:悪が勝利をおさめるには、善人が何もしない、ただそれだけでよい。

つまり、悪が蔓延するのは、それを積極的に推進するものがあるから、というわけではない。むしろ、制するものがないという意味で助長する環境がありさえすれば、いとも簡単に蔓延してしまうわけです。

○居場所を与えられない「美徳」という「価値」

さて、いじめです。

加害者家族や学校、教育委員会などの責任、加害者の矯正など、原因や今後の対応をめぐる様々な議論が行われています。またおそらく学校では、「命の大切さ」が改めて説かれていることでしょう。

不思議に思うのは、悪徳に対する美徳、例えば、勇敢であること、公正を重んじること、気高いこと、寛容であることなどといった、追求すべき価値に関する言葉が、全くと言ってよいほど聞こえてこないことです。

そういった価値に照らし合わせて考えると、弱いものをいじめるのは卑怯であり、それを見過ごすのは臆病であり、また、自己保身であり、そういった現状を尻目に綺麗ごとを説くのは偽善である―と言えます。

通り一遍の対応では、おそらく何も変わらないでしょう。制度いじりも同様です。結局のところ、追求すべき価値が、日常において明確な地位を与えられていない現状では、悪徳は蔓延したまま、その猛威はとどまることを知らないでしょう。

環境問題

○私の環境、環境としての私

スペインの哲学者ホセ・オルテガ。『大衆の反逆』が有名ですが、その他にもたくさんのエッセイ(試論)を残してくれています。そのひとつである『ドン・キホーテをめぐる省察』の中で、彼は言います。

「私とは、私自身と私の環境である。もし私が私の環境を救わないなら、私自身を救わないことになる。」

「私とは、私自身と私の環境である」ならば、他者との関係では、私とは、他者にとっての環境=他者の一部であるということになります。

「迷惑をかけなければ何をしてもよい」などという自己決定論を振りかざしていた社会学者がいましたが(今もいる模様)、オルテガの言葉は、私たちが、他者の生に対して責任を負っていることを教えてくれます。

○環境に育まれる私

「生命の援助」という確固たる教育理念に基づく園や、実践が徹底的に「子どもの視点」「子どもに対する信頼」に貫かれた園では、見事なまでに環境が整えられています。物的にも、人的にも、哲学―信念の体系―と言ってよいほどの考え方に貫かれているという意味で、秩序があります。そして、前者では、「お仕事」に集中し、自立に向けて様々な能力を獲得し成長していく子どもの姿があり、後者では、活発な園庭遊びが行われながら、病院にかかる怪我が1年以上発生していないという驚くべき状況があります。

「私(子ども)の環境」を整えることが、「私(子ども)自身(の内面)を整えること」につながっていることがよく分かります。

Keep calm and carry on

○ワクワクしない

オリンピックの開催を前に、イギリスでは盛り上がりを見せているそうです。

そこで思い出されるのが、もう随分昔のことになりますが、どこかの国でオリンピックが開催される際のテレビ番組でのやり取り。

アナウンサー:「いや~ワクワクしますね~」

所ジョージ:「オレは選手じゃないからワクワクしないよ」

○落ち着ついて…

戦争中には、国威発揚、士気の鼓舞のために、勇ましいスローガンが叫ばれます。

例えば、第二次大戦中であれば、日本では、「撃ちてし止まむ」あるいは「欲しがりません、勝つまでは」などなど。ドイツでは、「嵐を巻き起すのだ」などなど。アメリカでは、「パールハーバーを忘れるな」などなど。各国とも様々なスローガンを掲載したポスターを街中に貼りまくります。団結するために。

さて、そんな中にあって、イギリス。いったい、かの国ではどんなスローガンが踊っていたのかというと…

Keep calm and carry on(落ち着いて行動しましょう)。

一見盛り上がっているように見えるイギリスですが、おそらくその中心はロンドンで、地方都市では、いつも通りの落ち着いた日常が展開されているのでしょう。ロンドンでも、郊外であればそうかもしれません。

何があっても動じない、はしゃがない、浮き足立たない、平静を保つことができる、泰然自若としていられる、そんな落ち着いた大人らしい態度。見習いたいものです。

「声は人なり」

「文は人なり」と言われる通り、文章には、その書き手の人となりが表れます。 

最近ふと思ったのが、標記の「声は人なり」。 

新規のお客様と初めてコンタクトを取る際、まずは電話でのやり取りから始まるわけですが、つい先日も電話でお話しさせて頂いた際、「穏やかなお人柄がうかがえるようなお声だなあ」と感じました。そして実際にお目にかかり、お話しさせて頂き、納得。 

書き言葉であれ、話し言葉であれ、言葉選びやトーンにも、カドのあるものもあれば、丸みを帯びたもの、柔らかなものまで、様々です。それらは、実によく、その書き手や話し手の内面を表します。 

さて、どうしたものでしょうか。

形(外面)を整えることで、内容(内面)が整えられることもあります。例えば私の場合、方言で話すと、リラックスできると同時に、態度がルーズにもなります。反対に、標準語で話すと、シャキッとします。ただこれは、そもそも内面が外面に依存しすぎている、内面がさほど強固には律されていない、ということかもしれません。 

良き文、良き声への道。やはり内面の豊かさや強さ抜きには、たどり着けないのかもしれません。

数字にご用心

よく知られていることですが、アンケートなど各種調査の集計結果をグラフで表示する際(特に過去数年のデータを比較する時など)、メモリのとり方によって、変動の幅が大きく見えたり、小さく見えたりと、印象がずいぶん変わってきます。

何かを数字で表すことは、その何かを理解する際の助けにもなり得ますが、あくまでも全体像ではなく、一側面しか捉えきれません。また、その数字自体も、目的に応じていかようにも「見せる」ことが出来きます。従って、その取り扱いには、慎重さを要します。
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さて、こちらの記事。一部引用します。

 そんな能天気な高齢出産ブームとは裏腹に、日本産婦人科医会からは驚くべきデータが発表されている。胎児異常が理由とみられる中絶数が、10年前と比べて倍増しているというのだ。しかも、ダウン症に限ってみれば3倍近くにもなっている。
 このデータは、横浜市大先天異常モニタリングセンター(センター長=平原史樹・同大教授)が日本産婦人科医会所属の約330施設を対象に調査したもの。無脳症(脳と頭蓋骨の大半が欠けた状態)や水頭症(髄液がたまり脳室が大きくなる病気)、ダウン症といった胎児異常が理由とされる中絶の総数は、85~89年で約5400件だったが、00〜09年には約1万1800件に増加している。ダウン症は最も増加率が高く、370件から1100件に増えていた。

!?

(前略)胎児異常が理由とみられる中絶数が、10年前と比べて倍増しているというのだ。(中略)胎児異常が理由とされる中絶の総数は、85~89年で約5400件だったが、00〜09年には約1万1800件に増加している。

そう、85~89年が5年間、00~09年が10年間。期間が倍なら、総数も2倍近くになるでしょう。注意を喚起するという記事の趣旨自体はある程度分かりますが、そもそもこのような「データ」を「このように」公表するあたり、マスコミだけでなく研究機関の劣化も、相当進んでいるのかもしれません。

ご利用は適正に

当社の代表は、以前、「良く生きる」がモットーの某企業で法務コンプライアンスを担当しておりました。その代表氏、個人情報保護がテーマの研修では、「大事なのは利用と保護のバランスです」と常々申しております。わたくしなりに、その趣旨を噛み砕いてみたいと思います。

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ずいぶん前の話になりますが、防衛大臣に任命されたある政治家が、「私は安全保障の素人だが、これが本当のシビリアンコントロールだ」と発言し、少々騒がれました。

この発言自体は、ほとんど論ずる気を起こさせません。ただ、発言をめぐる弁明・擁護・批判に触れるにつけ、「『コントロール』の意味を分かってくれ~」との感を強くしたものです。というのも…。

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防衛力というのは、適切な利用を可能にしておくこと=不適切な利用を禁じておくことが、大切です。いざという時には適切に行使しうるようにしておくと同時に、「いざという時」以外は行使できないようにしておく。つまり、行使・不行使の判断が、ルールに基づく適切なものであること。さらに、行使する場合も、ルールに則って行われるということ…というふうに、実際に用いる場合でも、用いない場合でも、常にルール基づく(文民の)政治家の判断の下にある、ということが大切なのです。

防衛の話に抵抗感があれば、乗馬の場合で考えてみましょう。馬に乗る際は、馬のお尻をペンペン叩いて走らせると同時に、手綱を引いて「ど~ど~」などといいながらスピードを緩めたり止めたりします(たぶん。表現が稚拙ですみません)。馬は、乗る以上は走らせないとお話になりませんし、必要な時にはいつでも止められる状態にしておかないと、安心して走らせることも出来ません。

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control(コントロール)が意味するところ、「支配」や「統制」ばかりではありません。「監督」や「制御」、「自制」、traffic control(トラフィック・コントロール)に至っては「交通整理」です。これが「交通統制」だと、なんだか走ってはいけないような印象を受けます。スムーズな交通を目的とした制御―それが、「交通整理」です。

日本語にも「御(ぎょ)する」という言葉があります。その意味は、(1)馬を自由に操る、(2)人を思いのままに動かす、(3)治める。(1)馬をぎこちなく走らせる、(2)人の一挙手一投足に至るまで指図する…わけではありません。ましてや、(3)生活を統制して自由を抑圧することではありません。節度ある自由のために管理がある、それが治めることであり、統治なのでしょう。

結局、コントロール下に置く=御するという行為には、必要に応じて適切に制御しつつ、何かを上手く(巧く・伸び伸びと・適切に)使うということが含意されているわけです。

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個人情報も、おそらく、利用と保護の上に、適切な管理があるのでしょう。節度なき利用は保護を危うくし、際限なき保護は利用を阻みます(=業務を滞らせます)。利用と保護とのバランスを図る=適正な利用と厳格な保護とを実現する、適切な管理こそが求められるわけです。