第三者評価機関にほんの福祉ネットのブログ

最新情報

評価受審、その後

久方ぶりの更新となります。

評価の受審を踏まえて発信することが出来る「事業者コメント」という欄があります。

活用されることの少ない欄ですが、当社による26年度の評価結果を踏まえたコメントが更新されておりますので、紹介させて頂きます。

※以下、ふくナビ該当ページ (ページ下部)より引用

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

*以下の項目は事業者によって、自ら更新される情報です。

目黒区第三園目の指定管理園として開園し3年を経ての第三者評価受審でしたが、この3年間の園運営の総括となり、園の保育理念、運営についての基本部分の全職員の再確認となり、意識共有の契機となりました。

保護者の皆様にはご多用の中アンケートに多数ご協力いただきありがとうございました。数字に於いての回答だけでなく、具体的なご意見、ご要望、お励ましをいただきました。改めて、保育園は子どもを真ん中に、保護者と職員という大人が子どもの育ちを見守り支え合う場であるということを感じ、保護者の皆様とのこの3年間の本園の歩みの上に今があることに、職員一同感謝しております。

また、調査機関のご助言から、私達がまず大切にしたい「ひとりひとりの子どもの心に寄り添う保育」「子どもの主体性を尊重する保育」を深めるべく、視点の共有、職員育成の観点から、早速、次年度に向け日誌の記載項目の見直し等討議、改訂を行いました。

今後も、子どもが安心して育ちあえる場、保護者と子育ての喜びを共有できる保育園を目指し、職員一同心を合わせて取り組んでまいります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

当社との関わりを活かして頂き、大変ありがたく思います。

今後とも、事業者の皆様のお役に立てるよう、引き続き、取り組んでまいります。

2016年05月19日 | 評価受審、その後 はコメントを受け付けていません。 | トラックバックURL |

カテゴリ: 第三者評価

井上さく子先生

数年前に評価を担当させて頂いた<目黒区立ひもんや保育園>。


当時応対して頂いた園長の<井上さく子>先生が、本年3月を最後に退職なさり、現在、「遠野あとむ」名義で、作詞や朗読、イラスト作成などでご活躍中です。


在職時から、「今、子どもが何を求めているか」、子どもの視点に立って考えることを徹底なさっておられましたが、現在の活動も、「子どもの代弁者」という軸に貫かれています。


子どもが発した「つぶやき」は、先生を通して、「詩」として形となります。

そして、朗読を通して、聴く人の心に想いを届けています。

また、「詞」となって楽曲にのり、聴く人の心に響いています。

去る53日にもコンサートが行われ、盛況だったそうです。


今後の益々のご活躍が楽しみです。


詞6編、うた8曲が収められたCD

詞6編、うた8曲が収められたCD。お求めは、「たかはしべん音楽事務所」(049(225)7100)へ。

先生に頂戴した自筆のイラスト

先生から頂戴した自筆のイラストとメッセージ(「ぼくは じぶんがすきといえる子どもに わたしは わたしがすきといえる子どもに」)。

佐藤ちよみさん

当社の第三者評価事業の中心メンバーである<佐藤ちよみ>氏のホームページが開設されました。
氏は、

当社の第三者評価事業の中心メンバーである<佐藤ちよみ>氏のホームページが開設されました

氏は、これまで一貫して、福祉の現場で頑張る方々を元気づけてきました。時には、計画の作成方法や記録の書き方などの技術的な面の指導を行い、またある時には、現場の方々の内面にアプローチし、「対人援助の専門家」として成長できるよう支援してきました。そして、第三者評価にあっても、現場の方々の頑張りを認め、活力につながる関わりを実践してきました。

理論と実践の間を行き来しつつ自らの向上を図る<佐藤ちよみ>氏。

第三者評価であれ、研修であれ、氏との出会いや関わりは、必ずや、皆さんの励みや活力につながることでしょう。

絶賛活動中です。

長い沈黙の期間が続いてしまい、失礼しております。

頻繁な情報の発信、ホームページの更新がままならない状況が続いておりますが、

「できるか、できないか」と逡巡するのではなく、「やるか、やらないか」という発想で

バリバリ活動しております(新規のご相談・ご依頼、大歓迎です)。

また折を見て、情報発信をさせて頂きます。

よろしくお願いいたします。

ode an die freude/ ode to joy/ 歓喜の歌

今年も第九の季節がやってまいりました。

さて、Flash mob(フラッシュモブ)というのは、公共の場に目的を同じくする人たちが集まって行うパフォーマンスだそうです。

こちらは、スペインのとある街でのパフォーマンス。

お年寄りであろうが、小さな子供であろうが、聴く者の表情を活き活きとさせる楽曲・演奏の力に、感服させられます。

そして、このような素晴らしい音楽がごく身近にあるという環境に、本当の豊かさを見た思いがする今日この頃です。

そこにいない人を話題にする

久しぶりの更新となります。

今年訪れた変化といえば、調査としてお邪魔する以外にも、様々な形で事業者様の所にお伺いすることが増えてまいりました。

これまでにも、グループホーム(認知症の方々の生活の場)の運営推進会議にてお話しする機会はありましたが、それに加えて、①家族懇談会、②夏祭り、③運動会、はたまた④見学など、文字通り、お邪魔しております。

評価(調査)としてではない形でお邪魔させて頂くと、とても新鮮な場面に遭遇することがあります。

○欠席者を話題にする

本人のいないところでその人の話題は持ち出さない、というのは、多少の例外はあるにせよ、おおよそ一般的な通念といってよいかと思います。

しかし、これが意外な展開を見せる場合もあります。

先日、とあるグループホームにお邪魔して、家族懇談会、運営推進会議、その後の食事会に参加させて頂きました。 

いくつか印象的なことがあったのですが、その一つが、家族懇談会の席上での出来事。

家族懇談会ですので、当然、主な出席者は、入居者のご家族。その数、4名。

ホームの管理者からは、出席者のご家族である入居者の近況、援助方針について、テンポよく報告がありました。

そして、4名の入居者についての報告が終わった後、次の議題に移るのかと思いきや、そのまま、他の入居者の生活状況や援助方針に関する話が続きました。「他の入居者」というのは、つまり、そのご家族が欠席されている方々。

なかなか不思議な光景だったので、その後の食事会の席で、ホームの方に「なぜ欠席者家族の入居者の近況についても、他の家族に説明したのか」、伺ってみました。

ホームの方が教えて下さった、そのわけは・・・。

○他者への関心から積極的な関わりへ

以前、欠席家族の入居者についての近況報告をしなかったところ、別のご家族の方から

「○○さんはどうしてるの?」

との質問が出たそうです。

それに対して、ホームの方は、

「少し食欲がなくなってる」

と、その入居者の様子についてお知らせしたそうです。

すると、

懇談会後の食事会の席で、食欲が落ちているといわれた当の入居者に、上記質問をした方(つまり、他の入居者のご家族)が、食事を勧める姿が見られたそうです。

なんと素敵な光景でしょうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

蛇足ですが、こちらのホーム、台所にまな板が4枚もありました。木製の、立派なものです。 

「ああ、ここでは、食事作りに参加する楽しみがあるんだなあ」と思わされました。 

当たり前の生活、それを支える「黒子」としての職員さんの頑張りに感動を覚えた、貴重な一日でした。

ある一日の終わり

どんなに大変な一日であっても、ふとした出来事に心救われ、気持ちよく一日を終えられることがあります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ある日の夕方、一本の電話。

保護者アンケートの締切を前に、回収状況が今一つの保育園の園長先生から。 

お声がけしたほうが良いと思うんですが、どうしたらいいでしょうか。あ、こんなこと、○○さん(私)に聞くのも変ですね。」

考えられる対応方法を少々真面目に説明した後、はたと気づき、笑いをこらえて改めて返答。 

「先生も保護者や職員さんからよく相談を受けてらっしゃると思うので、よくご存知かと思いますが、相談というのは、おおむね結論が決まっていて、あとは背中を押して欲しいだけ、ということがよくあります。」 

やはり笑ってしまう私、少々恥ずかしがりながらも笑って下さる先生。 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

一日の終わりに愉快な会話の機会を下さった先生、ありがとうございました!

交際上のマナー

相手が自分にとって不利な・嫌な行動をとる時、「相手の嫌な部分を引き出している自分がいるのではないか」と考える、今日この頃です。つまり、人間交際を豊かにしていく上で、相手の嫌な部分を引き出さない立ち居振る舞いをする責任が、あるのではないのか、と。

○使われていない=自分が使える=占有できる=ある日所有に化ける(かも)

過去に、いくつかの国の方々と生活を共にしたことがあります。以下は、ある国の人と暮らした時のエピソード。

部屋は各自一部屋。キッチンは共有。使い方については、4人の居住者全員で相談の上、以下のように決定。

①お皿や鍋など、各自の所有物は、それぞれスペースを割り当てて収納。

②コンロやその周辺は共有スペース。

③コンロや流し台、テーブルなどは、使用後は各自で掃除。

④キッチンのフロアの掃除は、輪番制。

⑤ゴミを集積場へ持っていくことも、同じく輪番制。 

そして、和やかに新生活がスタート。のはずが、数日後、キッチンに行ってビックリ。

「共有スペース」のはずのコンロ周辺に、うず高く積まれたお皿や調味料の数々。

調味料は、いかにも○○料理的なものばかり。 

○○人学生に聞いてみると、「何か問題でも?」といった様子。

そう、彼らにとって、共有スペースとは、空いている=使える=事実上自分たちのものにできるスペースだったのです。

○相手のさらなる行動を招かない責任

そこで、改めて説明:「いやいや、ここは皆で使う場所だから、必要な時だけ使って、そうでない時は空けとくんだよ

○○人:「オ~、ソ~リ~」(たぶん分かっていない)

かくして共有スペースは、「占領」から速やかに「解放」されたのでした。その後、この問題は再発しませんでした。

トラブルはなるべく起こさない、起こってしまった時は、なるべく悪化させない(事態をエスカレートさせない)、そのために必要な行動をとる、それもすぐに―実はこれ、人であれ国であれ、関係の継続を前提とするならば、当然のマナーであると思うのです。

「恐怖を恐怖する」

少々興味深いデータに触れたので、紹介を兼ねて。出典は、こちら。 

○「危険な」飛行機の利用を控えたら、自動車事故が増えた

人には、「恋を恋する」傾向があるようですが、どうやら「恐怖を恐怖する」のも、避けがたい傾向のようです。

2001年に世界貿易センタービルで起きたテロ事件の発生から1年間ほど、アメリカでは、飛行機の利用が極端に減少しました。ハイジャックに遭うこと、テロに巻き込まれることを、人々が恐れた結果です。

飛行機の利用をやめるならば、他の交通手段を利用するしかありません。当然、車の利用量も増えることになります。 

さて、その結果何が起こったかというと、当たり前のようですが、自動車事故による死者数の増加でした。

その数、前年比で1,595人増。

これがどのような数字であるかというと。 

・貿易センタービル、ペンタゴン、それぞれへの攻撃を含む一連のテロの犠牲者数は、約3000人と言われています。ですので、1,595人というのは、その約半分。結構な規模です。

・犠牲者のうち、飛行機の乗客だけに限れば246人。なので、1,595人はその6倍。こう見ると、交通事故の死亡者数増の顕著さが際立ちます。

・同時多発テロの1週間後に起こった炭疽菌によるテロの犠牲者数は5名。ということは、1,595人はその319倍。テロの被害者よりはるかに多い…。

○飛行機と自動車の危険性―比べてみると…

この調査をしたドイツの心理学者さん、律儀に以下のような計算をしています。 

・1年間、毎月1回(つまり1年で12回)のフライトでハイジャックに遭って亡くなる確率=1 / 135,000

・1年間で、自動車事故で亡くなる確率=1 / 6,000

この確率をもとに考えると、自動車での移動よりも飛行機での移動のほうが安全だということになります。なので、飛行機を避けて自動車を選んだ行動は、かなり非合理的なものだったということになります。

○理屈に合わない恐怖に振り回される私たち

この行動を生んだきっかけは、著者曰く、「イメージ」。繰り返し放送される、事故の瞬間の映像、遺族のインタビュー、次に来るテロの恐怖を煽る報道などなど。これらによって、人々は、unreasoning fear 理屈に合わない恐怖(心)を抱いてしまった―そう、著者は言います。 

自動車事故の死亡者数の増加については、ほとんど誰も注目していないそうです。また、当事者である遺族も、この増加の事実、いわんやその背後関係についても、理解していないそうです(仕方のないことですが)。つまり、遺族は、愛する家族の命を奪ったのは、日常生活で起こりうる交通事故―残念ではあるが、現代社会に生きる上で受け入れなければならない、言わばコスト―であると考えているわけです。

しかし、著者によれば、実際は、彼らはそんな理由で亡くなったのではない。愛すべき家族の命を奪ったのは、比較的安全な飛行機を避けて自動車の利用に殺到した、人々の恐怖(心)である―ということになります。 

unreasoning fear 理屈に合わない・根拠定かならぬ恐怖が、新たな悲劇を生んでしまう…なんとも皮肉な現象です。

悪の存立条件

○悪徳の栄え

卑怯、卑劣、卑俗、臆病、偽善、酷薄、放縦、抑圧、画一、差別、残忍…と、「悪徳」に該当すると思われる言葉を思いつくままに書き起こしてみました。

さて、こういった悪徳が世に蔓延してしまう条件とは、一体どんなものでしょうか。18世紀の英国で活躍した政治家、エドマンド・バークは言います。

All that is required for evil to triumph is that good men do nothing.

カチコチの訳:悪が勝利をおさめるために必要なことの全ては、善人が何もしないことである。

思い切って言い直すと:悪が勝利をおさめるには、善人が何もしない、ただそれだけでよい。

つまり、悪が蔓延するのは、それを積極的に推進するものがあるから、というわけではない。むしろ、制するものがないという意味で助長する環境がありさえすれば、いとも簡単に蔓延してしまうわけです。

○居場所を与えられない「美徳」という「価値」

さて、いじめです。

加害者家族や学校、教育委員会などの責任、加害者の矯正など、原因や今後の対応をめぐる様々な議論が行われています。またおそらく学校では、「命の大切さ」が改めて説かれていることでしょう。

不思議に思うのは、悪徳に対する美徳、例えば、勇敢であること、公正を重んじること、気高いこと、寛容であることなどといった、追求すべき価値に関する言葉が、全くと言ってよいほど聞こえてこないことです。

そういった価値に照らし合わせて考えると、弱いものをいじめるのは卑怯であり、それを見過ごすのは臆病であり、また、自己保身であり、そういった現状を尻目に綺麗ごとを説くのは偽善である―と言えます。

通り一遍の対応では、おそらく何も変わらないでしょう。制度いじりも同様です。結局のところ、追求すべき価値が、日常において明確な地位を与えられていない現状では、悪徳は蔓延したまま、その猛威はとどまることを知らないでしょう。