心を掃除する

心を掃除する

助言、指導、注意、エトセトラエトセトラ。これらが人の心に届くには、一つには言い方(表現方法)、もう一つには受け手の心理が鍵となります。今日は、組織内で助言、指導、注意などを受ける立場の方々へのお話。

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①まずは、 シェイクスピア作品の翻訳で名高いある劇作家の言葉を。

子どもというのは、一般に、『自分はもう子どもではない』と言う時、もっとも子どもらしさを発揮するものです」

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②次に、何かのイベントで日本人の学者・評論家数人がヨーロッパに講演旅行に行った時のお話。講演を聴くのは、ヨーロッパの政治家やジャーナリストたち。

A(ドイツ文学者)は、ヨーロッパ批判を延々と展開。

B(思想家)は、ヨーロッパの思想・哲学の歴史への敬意を表明。

C(現在政治家)は、Aを「ナショナリスティック」、Bを「西欧コンプレックス」と批判。

そこでB、ヨーロッパ人の聴衆に向かって一言。

「ところで皆さん、コンプレックスを公にすることは、果たして、コンプレックスと言えるのでしょうか

ニヤリとする聴衆。

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①は、「一人前でありたい」という希望=「成熟していない」という現状が、露わになる瞬間です。私も言った憶えがあります。幼かった~。

②はいかがでしょうか。劣等感を抑え続けること自体が、劣等感の発露そのものということでしょうか。反対に、劣等感を自覚し、公にすると、②の体験者の言葉を借りれば、「偏狭な自己から解放される」わけです。なるほど。

精神・心理の面からの分析もあると思いますが、ここでは言葉の動きに着目して整理してみます。 

・未熟な部分や劣等感を隠す=内面を閉ざす=コミュニケーションの経路が遮断される=他者の言葉が入ってこなくなる=言葉が循環しなくなる=コミュニケーションが行われなくなる=自己の殻に閉じこもる

・未熟な部分や劣等感を公にする=内面を外に出す=コミュニケーションの経路が準備される=他者の言葉が入ってくる=言葉が循環する=コミュニケーションが行われる=自己が外に対して常に開かれる

精神の引きこもりは、自己を窒息させます。他者の言葉という新鮮な空気が還流することで、ゴミ同然の妙なプライドはきれいに掃除されます。

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